最高裁判所第三小法廷 平成6年(オ)669号 判決 1997年2月25日
上告人
進藤敏子
右訴訟代理人弁護士
万代彰郎
右補助参加人
旧商号株式会社ミサワホーム神戸
山手住建株式会社
右代表者清算人
西平均
右訴訟代理人弁護士
下山量平
正木靖子
被上告人
二見精彦
右訴訟代理人弁護士
木ノ宮圭造
主文
原判決中、上告人敗訴の部分を破棄する。
前項の部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人万代彰郎の上告理由について
一 原審の確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
1 上告人は、被上告人との間で、平成元年一〇月三日、原判決別紙物件目録記載の土地を代金一六三〇万円で買い受ける旨の売買契約を締結し、被上告人に対し、手付けとして一五〇万円を交付した。
2 被上告人は、平成二年二月七日ころ、本件土地を有限会社明姫ハウジングに売り渡し、同月九日、本件土地について同社名義の所有権移転登記手続をしたため、被上告人の上告人に対する本件契約に基づく所有権移転義務は、被上告人の責めに帰すべき事由により履行不能となった。
3 本件契約には、買主の義務不履行を理由として売主が契約を解除したときは、買主は違約損害金として手付金の返還を請求することができない旨の約定(九条二項)、売主の義務不履行を理由として買主が契約を解除したときは、売主は手付金の倍額を支払わなければならない旨の約定(同条三項)及び「上記以外に特別の損害を被った当事者の一方は、相手方に違約金又は損害賠償の支払を求めることができる。」旨の約定(同条四項)が存し、右各条項は、本件契約に際し社団法人兵庫県宅地建物取引業協会制定の定型書式を使用して作成された不動産売買契約書にあらかじめ記載されていたところ、契約締結時に右各条項の意味内容について当事者間で特段の話合いが持たれた形跡はない。
二 上告人は、被上告人に対し、九条三項に基づき、手付けの倍額三〇〇万円の支払を求めるとともに、九条四項に基づき、本件土地の右履行不能時の時価と右売買代金との差額二二四〇万円の支払を求めている。
三 原審は、九条二項ないし四項の趣旨につき、九条二項及び三項は、債務不履行によって通常生ずべき損害については、現実に生じた損害の額いかんにかかわらず、手付けの額をもって損害額とする旨を定めたものであり、九条四項は、特別の事情によって生じた損害については、民法四一六条二項の規定に従って、その賠償を請求することができる旨を定めた約定と解すべきであると判断した上で、本件においては、特別の事情によって生じた損害は認められないから、九条四項に基づいてその賠償を請求することのできる損害は存在しないとして、手付けの倍額三〇〇万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で上告人の請求を認容した。
四 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
原審の確定した九条二項ないし四項の文言を全体としてみれば、右各条項は、相手方の債務不履行の場合に、特段の事情がない限り、債権者は、現実に生じた損害の証明を要せずに、手付けの額と同額の損害賠償を求めることができる旨を規定するとともに、現実に生じた損害の証明をして、手付けの額を超える損害の賠償を求めることもできる旨を規定することにより、相手方の債務不履行により損害を被った債権者に対し、現実に生じた損害全額の賠償を得させる趣旨を定めた規定と解するのが、社会通念に照らして合理的であり、当事者の通常の意思にも沿うものというべきである。すなわち、特段の事情がない限り、九条四項は、債務不履行により手付けの額を超える損害を被った債権者は、通常生ずべき損害であると特別の事情によって生じた損害であるとを問わず、右損害全額の賠償を請求することができる旨を定めたものと解するのが相当である。
もっとも、九条四項は、債権者が手付けの額を超えてその賠償を求めることのできる損害を「特別の損害」という文言で規定しているが、前記事実関係によれば、九条二項ないし四項は、社団法人兵庫県宅地建物取引業協会の制定した定型書式にあらかじめ記載されていたものであるところ、右定型書式が兵庫県内の不動産取引において広く使用されることを予定して作成されたものとみられることにもかんがみると、右定型書式の制定に際して、右「特別の損害」の文言を民法四一六条二項にいう特別の事情によって生じた損害をいうものとして記載したとは、通常考え難い上、右文言を特別の事情によって生じた損害と解することにより、相手方の債務不履行の場合に、債権者に、通常生ずべき損害については手付けの額を超える損害の賠償請求を認めず、特別の事情によって生じた損害に限って別途その賠償請求を認めることの合理性も、一般的に見いだし難いところであり、仮に契約当事者間において特別の事情によって生じた損害に限って手付けの額の賠償とは別にその賠償を認める趣旨の約定をするとすれば、「特別の事情によって生じた損害」と明記するなど、その趣旨が明確になるよう表現上の工夫をするのがむしろ通常であると考えられる。
しかるところ、前記のとおり、九条四項は、債権者が手付けの額を超えてその賠償を求めることのできる損害を単に「特別の損害」という文言で規定しているにすぎない上、前記事実関係によれば、本件契約の当事者間において契約締結時に右各条項の意味内容について特段の話合いが持たれた形跡はないというのであるから、右文言を特別の事情によって生じた損害をいうものと解するのは相当ではなく、他に同条四項の趣旨を右に述べたところと別異に解すべき特段の事情もないというべきである。
そうであるとすれば、本件契約においても、九条四項は、相手方の債務不履行により債権者が手付けの額を超える損害を被った場合には、通常生ずべき損害であると特別の事情によって生じた損害であるとを問わず、債権者は右損害全額の賠償を請求することができる旨を定めた約定と解するのが相当である。
五 したがって、以上と異なり、九条四項は債務不履行によって生じた損害のうち特別の事情によって生じた損害についてその賠償を請求することができる旨を定めた約定と解すべきであるとし、通常生ずべき損害はおよそ同項による賠償の対象とならないとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるものといわざるを得ず、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点をいう論旨は理由があり、原判決は上告人敗訴部分につき破棄を免れない。そして、手付けの額を超える損害の有無及びその額について更に審理を尽くさせる必要があるから、右破棄部分につきこれを原審に差し戻すのが相当である。
よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信)
上告代理人万代彰郎の上告理由
第一点 原判決は民法第四二〇条一項の解釈を誤り、法令の違背がある。
すなわち
一、民法四二〇条一項は損害賠償の予定について規定しており、その意味するところは「債務不履行があった場合に請求しうる損害額を当事者間で予め約定しておくことは、債務者にとっては損害を立証しなくともよい点で便利であり、しかも予定賠償額を裁判所は増減することができないため、契約当事者は実損が予定額より多くてもその請求ができないこととなる。」とされている。
二、それ故に通常、賠償額の予定をした場合、契約当事者は実損が予定額より多くても、その請求が出来ないこととなる。
これを避けて実損を請求しようとすれば、賠償額の予定をしないか、予定額以外にも実損を請求し得る旨の約定をする以外に方法はないとされている。
三、ところで本件では甲第二号証(売買契約書)九条四項に「上記以外に特別の損害を被った当事者の一方は相手方に違約金又は損害賠償の支払を求めることが出来る」旨の条項が存在する。
四、しかして原審は右条項の意味内容として「債務不履行によって生じた通常損害については賠償額の予定により手付金の額より増減して請求することはできないが、特別の事情によって生じた特別損害については、その発生および額を証明すれば法定の要件(予見可能性)の下に別途その賠償を請求することができる旨定めた条項と……認めるのが相当である。」と判示している。
五、しかしながら民法四二〇条一項は前述の如く、通常損害および特別損害を含め、全ての損害についての予定を定めるものであり、前記契約条項は右民法の損害賠償の予定の範囲を越えた損害の請求が出来る旨を定めるものである。
それ故に、その損害は特別損害のみに限定すべきものではなく、通常損害についても予定額を越えるものについては、その立証を待って損害の請求が出来るものと解すべきである。
六、従って原審は右の点につき民法四二〇条一項の解釈を誤っている。
七、因に右契約条項の「特別の損害を被った当事者」とは、損害賠償の予定額、すなわち手付倍戻しより損害が多ければ、その部分についても請求できる旨を示すものであり「特別」という文字は「特別損害」を示すものではなく、予定額以上の損害を意味するものである。
八、しかして右解釈は本件と被上告人が同じで、本件土地の隣接地の事案につき大阪高等裁判所第五民事部・平成二年(ネ)第二五九〇号事件(上告事件番号平成五年(オ)第三三七号事件)においても支持されており、原審判決はこれとも矛盾する。
第二点 原判決は経験則に反し、理由齟齬ないし不備、審理不尽の違法がありこれがため判決に影響を及ぼすことは明らかである。
(民訴三九四条、三九五条六項)
一、本件契約書(甲第二号証)は社団法人兵庫県宅地建物取引業協会制定約款によるものであり、第九条四項の「上記以外に特別の損害を被った当事者」とは、手付の没収又は倍戻し以外にそれを越える損害を被った場合の当事者という意味であり、「特別の損害」という文言に惑わされて、これを民法四一六条二項の特別損害に限ると考えることは、経験則上無理があるし、普通の市民が右の如き意味を右契約文言より理解することは出来ない。
二、しかるに原審は右の点につき「この条項は甚だ漠然とした条項であってその意味内容を正確に捕捉することは困難であるけれども、違約手付に関する条項とあわせて総合的に判読するならば……特別損害については……賠償を請求することが出来る旨を定めた条項と解することができないではなく……」と判示するのみで、右認定の理由につき極めて曖昧であり、なぜ予定額を超える通常損害について請求することができないのか、その理由が明らかではない。
三、従って、この点についても原判決は破棄されるべきである。